Back number(2002年6月)
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がんばれ

June 30, 2002

と可哀相に思って言ったけれど、皆、応援してたのね。

「♪ 〜 足首、太もも、男の世界 〜 ♪」

そんな世界はいやだー、オリー・カーン!

2002年 FIFAワールドカップTM

June 28, 2002

も、もう決勝戦を残すのみとなりました。(そう言えば、3位決定戦もありますね。韓国が出るので決勝より重要かな?)
 そんな中、昨日の夜にテレビを点けた瞬間、某NHKのニュースで「先程ブラジルが史上初の3大会連続、決勝戦進出と言いましたが、1982年、1986年、1990年にドイツも3大会連続の決勝戦進出をしています。おわびして訂正致します。」とアナウンスが... 。

 決勝戦はブラジル vs ドイツなのに。

がんばれ、カーン!

中国旅行記(その3)

June 20, 2002

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は、とうとう6月になってしまいました。
W杯のベスト8も決まったと言うのに、まだ書いてます。
書いてはいるけれど、もう旅行の記憶はほとんど忘却の彼方。
頭の中はW杯で一杯だったりして...(笑)
... 残念、日本代表


第9日目(4月4日)

今日は上海へ帰る日です。
船で周荘か用直へ寄ってから帰ろうかと思っていましたが、曇り空で風も強かったので、バスで上海へ行くことにします。

民宿のおじさんとおばさんに上海に戻る旨を告げると、普通のメモ帳に、手書きで明細を書いた請求書を渡されました。
田舎の夫婦が経営している民宿という感じで、ちょっとホノボノしています。
でも明細には、ちゃっかり隣人が割ったコップの代金まで入っていました
昨日、コップを割ったときには、ひたすら恐縮する隣人を前に、にこやかな笑顔で「これくらい大丈夫、大丈夫」という様なゼスチャーを見せていたおじさん。
優しそうな笑顔ですが、やはり中国人、抜け目ありません。

さて、同里のバスターミナルは蘇州のバスターミナルの様な立派な施設もなく、上海に戻るバスの発車時刻も良く分かりません。
何台ものバスが停まれる広い場所があるだけで、職員らしき姿もなく、近くにいたおばさんに上海行きのバスが何時に出るか聞いてみると、ちょうど、その時バスターミナルに入ってきたバスを指差して「あのバスに乗れ」と言います。
バスには「同里−蘇州」の文字が。
どうやら、来たときと同じように一度蘇州に戻って、上海へ行けという事らしい。
たぶん、上海行きのバスは朝と夕方くらいしか出ていないのでしょう。
仕方なく、そのバスで一度蘇州に戻ってから電車で上海へ戻ることにしました。

バスは蘇州のバスターミナルではなく電車の蘇州駅に到着。
どうやら、蘇州から同里行きの始発のバス停は、電車の蘇州駅と同じ場所だった様です。
同里へ行く時に乗ったバスターミナルは、蘇州駅の次のバス停だったみたい。
でも、蘇州駅の切符売り場は一台のマイクロバスを改装しただけの簡単なものしかありません
次のバス停のバスターミナルがあれだけきちんと切符を売っていても意味ない気がします。

さて、旅行者が集まる場所には、旅行者の財布を狙った商売や犯罪も多いものです
実際、駅の近くで、こちらが買った琵琶とは異なる袋を、見つからないように入れ替えて渡す、果物屋のおばちゃんがいましたから。
その行為があまりにも、あからさまだったので、それはないだろうと思って抗議。
おばちゃんは悪びれる様子もなく、買った方の袋を渡してくれましたけど。

さて、上海行きの切符を購入する為には、チケット売り場に並ばなければいけません。
ですが、こんな所にもダフ屋が切符を売っています
中国では、ダフ屋からチケットを買うものなのかしら?

そんな事を考えていると、自分の並んでいる列の一番前の中国人が、窓口に猛抗議。
理由は分かりませんが、窓口の受付に向かってものすごい勢いで 発狂 ハッスルしています。
あまりの勢いに受付のお姉さんが嫌気をさしたのか、並んでいた窓口が突然閉鎖
オイオイ、みんな並んで待っているのに、って感じです。
抗議している中国人はますますヒートアップして、ガラスを叩きながら次々に窓口に代わって、わめき散らしています。
お陰で、後に並んでいた私達は隣の窓口に並びなおさなければいけませんでした。

それでも無事、切符は購入。
待合室で大勢の中国人に囲まれながら電車を待ちます。
電車の到着する1時間前から既に待合室は満杯です。
改札が開きそうになると、椅子に座れなかった人が次々に改札の前に並びます。
呑気に椅子に座っていると、電車に乗れないような錯覚すら覚えます。
そして、いざ改札が開くと、我先に自分の切符を切ってもらおうと、改札に詰め掛ける中国人。
でも、一番で改札を抜けてもプラットホームには並ばないので、改札を通る順番と電車に乗る順番は全く関係無さそうです
プラットホームでは電車のドアがどの位置になるか分からないので、皆、並んで待つどころか、プラットホーム全体に散らばって、どこかのんびり電車を待っています。
日本では、ここからが本当の競争だと思うのですが... 。
中国人、どこで頑張って、どこで力を抜くのか、良く分かりません。

さて、電車が見えると、中国人の目が再び変わります。
電車が到着すると、当たり前の様にドアの前に詰め掛けて、老若男女関係なく、我先に電車に乗り込もうと押し合いへし合いです。
(さすがに小学生くらいの団体には気を使って先に乗せていましたが。)
又、その中国人達を煽るように、まだ大半の乗客が電車に乗れていない時に、突然、発車の警笛がプラットホームに響き渡りました
プラットホームにいる全員が、ほとんど 錯乱、発狂 パニック。
ちょっとした暴動が起きそうな感じです。

そんな中、ドアに手をかけて今にも電車に乗ろうとしていた男が、持っていた「孫の手」を、自分の後ろから押し寄せる乗客の方へ跳ばしてしまいました。
ものすごい形相で、群衆の中に放り出された「孫の手」を取り戻そうとする男。
いかにも大事なものを取り返そうとしている様ですが、それはただの「孫の手」です。(笑)

勿論、電車は全ての乗客が乗車するまで発車しませんでしたので、無事に乗車出来ました。
しかも最初は通路の階段にしか座れませんでしたが、幸運にも途中の駅から椅子に座ることも出来ました。

さて上海に近くなった頃、乗務員がやって来て、切符の確認ではなく、通路で靴下の実演販売を始めました。
靴下に針を刺したり、ライターの火を近づけたりして、破けず燃えない丈夫な靴下をアピール。
まさか中国の電車の中で穴空き包丁の実演販売のような光景が見れるとは思いませんでした。
資本主義経済を取り入れつつある中国政府は、どんな所でも商売を始めるつもりの様です。
さすがに、これは同じ中国人である乗客も苦笑していましたけど。

さて、上海に着くと夕方までゆっくり休んだ後、3月29日に行けなかったレストランへ行くことにしました。
前回は上海商城からレストランまでゆっくり歩いていったので閉店時間になった、と言うことで、まだ日が落ちて1時間も経っていない時から奮発(?)してタクシーで行くことに。

ところで、アジア旅行をしていると、毎回交通事情に慣れるまでドキドキです。
大陸の人にとって信号は、絶対に守らなければいけないサインと言うより、交差点を渡る優先順位を示す目安程度で、特に歩行者が信号を守るという事は有りえません。
赤信号で車が目の前を猛スピードで横切っていたとしても、少し流れが途切れると渡りだします。
一端、道路の中央線まで渡って、道路の真ん中で反対車線の車の流れが途切れるのを待つのは、ほとんど常識です。
しかも、彼等には基本的に歩行者優先という言葉は有りません
交差点のスムーズな交通マナーは大きなクラクションです。
警告しておいて、それでも死にたければ渡れば、という感じ。
だから、勿論タクシーも人によっては安全運転と言うより、スピード優先。
車線変更も、追い越しも、出来る可能性があるなら、Let's go という感じでちょっと危険です。
滞在日も終盤なのでもう慣れてきましたが、毎回、アジア旅行の最初の方はドキドキしながら道を渡っています。

さて、そんな感じで、9日目も終わり。
明日はお土産を買う日かな。
え、レストランはどうだったかって?
まあ、普通でしたね、気合い入れて行った割には。(笑)


第10日目(4月5日)

いつものように、昼食前にホテルを出ようと、部屋を出ました。
部屋を出た廊下の向かい側にはカーテンがあります。
実は、このホテルの部屋は、蘇州に行く前に上海で泊まっていた部屋と全く同じ部屋です。
ホテルのビルの大きさから考えて、こんな場所にカーテンがあっても、その向こうはビルの中の筈で、中庭でも無いかぎり、カーテンも窓も必要ない筈だと、ずっと思っていました。
それでも、夜は真っ暗なカーテンの向こう側は昼間にはうっすらと明かりが漏れているようです。
何気なく、カーテンの向こう側を覗いてみると...

カーテンの開けると大きな窓がありました。
その窓を開けるとその向こう側には別のビルが... 。
使われなくなったであろうドアと、エアコンの送風機、別のビルの窓、そして、見上げると青空が... 。
昔は別々であっただろう向かいのビルと、こちらのビルが後から取り付けられた廊下によって繋げられています。

ここは九龍城ですか?

思わず、カメラを取り出してホテル探索を開始。
まさか、こんな近くに被写体があるとは思いませんでした。
恐るべし中国です。

1時間程、ホテルの中をウロウロした後、中国最後の「大娘水餃」
私の中では、もう中国のマクドナルドです。

さて明日が帰国日なので、事実上、今日が中国最後の日。
だから基本的に今日は、お土産を買ったりしてゆっくり過ごす日にしました。
観光地として行った所はテレビ塔くらいかな。

ちなみにテレビ塔は昇る高さによって入場料が異なります
こんな所でも、儲けようとしているのか、親切心なのか、中国人の考え方はやっぱり良く分かりません。
で、私がどの高さまで昇ったかと言うと、実はテレビ塔の前までしか行きませんでした。
まあ、テレビ塔に昇っても、テレビ塔は見えませんからね。(上海は一望できるけど...)

テレビ塔の周りはまだ開発中なのか、あまり何もありません。
西新宿のような高層ビルが多く建てられ、また建設中ですが、それくらいです。
(規模も高さも新宿以上という感じではありますが)
一番面白いのは、テレビ塔に感動している外人の彫刻が数体並んでいる事。
こういうところは、中国人、分かり易すぎです。

夜は近くのスーパーで、最後の夜を楽しむためのビールや、もしかしたら明日の朝必要になるかもしれないカップ麺を購入。
夕食は、2日目くらいに見つけて、チェックしておいた現地人で賑わっていた麺の店へ。
ちょっとカレー風味の麺で最後の夕食を取りました。

ホテルへの帰り道、急な雨に見舞われて、思わず百貨店へ雨宿り。
ここぞとばかりに、街中のあちこちで、傘の販売が行われています。
雨宿りした百貨店でも、当然、大きな傘売り場のコーナーが、設置されていました。
そこで、見つけた、柄にライトが付いている、通販の便利グッズの様な傘
思わず購入してしまいました。
これからは、急に暗い場所へ行っても大丈夫。

「だって傘を持っているから」

...って言ってみたい。(笑)


第11日目(4月6日)

とうとう、今回の旅行も今日で終わりです。
上海虹橋空港11:10発、CA921便に乗るために、ホテルのレストランが開店と同時に上海最後の食事。
(昨日買ったカップ麺はお土産に早変わり)
食事が終わると早々に荷物をまとめ、ホテルのチェックアウト。

ホテルの前の道は歩行者天国なので、少し歩いて大通りへ出てタクシーを拾いました。
ところが、タクシーを拾うために手を挙げて、止まったタクシーに乗り込もうとした瞬間、後ろから大声を掛ける人物が...
振り向くと、気付かなかったのですが、後ろはホテルで、その前に止まっているタクシーの運転手が大声で、自分のタクシーに乗れと声を掛けながら、まさに荷物を取り上げてでも自分のタクシーに連れ込もうという勢いで、こちらに向かってくるではありませんか。
既に、こっちは、私が拾ったこのタクシーのトランクを開けてもらっていると言うのに... 。
ちょっとバイタリティー溢れ過ぎです。
あんな運ちゃんのタクシーに乗ったら何処に連れてゆかれるか分かったものじゃありません。
さっさとトランクに荷物を入れて、このタクシーに乗り込みました。

行きはバスで来たので、空港から街中まで1時間くらいかかりましたが、タクシーだと30分くらいで空港に着きます。
あまりにもスムーズに着いたので、少し時間が余ってしまいましたが、別にすることも無く、ベンチでぼんやり待つだけ。

チェックインの手続きが始まると、すぐにチェックインを済ませ、出国手続きのカウンターへ向かいます。
カウンターに並んで自分の番が来ると、係官にパスポートや飛行機のチケットなどを見せました。
すると、係官はカウンターの上の方を指差して、出国カードが必要だと言います。
何の事だろうと後ろを見ると、隅の方に小さな机があり、その上に小さなカードが並んでいました。
あの〜、そんな大事な書類が、そんな隅の方に、ささやかに置いてあっても気付きませんよ。

さて、出国審査のカウンターを抜けると、もう、そこは中国ではありません。
社会主義国の中国国内では見かけなかった、怪しげな精力剤みたいなものも、堂々と公に売っています。

暇な待ち時間も過ぎて、漸く出発時刻。
飛行機に搭乗して、最後の写真を飛行機の窓越しに撮りながら、今回の旅行を懐かしみます。
飛行機が離陸態勢に入るため移動を始めると、近くの座席から子供の声が。
「あ、動いた、動いた。」

「当たり前です。動かないと飛ばないじゃん。」

小声で突っ込む私。
なんだか、夢の無い、嫌の大人になりました。

さて、漸く離陸。
11日間の中国旅行もこれで終わりです。
飛行機が雲の上に出た頃、揺れる飛行機の中で、さっきと同じ子供達の声が... 。
「わー、ちんちん動いた。」
「こそばいなー。」
「エッチ。」

もうすぐ関西空港です。
今回の旅が、こんな 下品な 可愛いエピソードで終わるとは思いませんでしたけど。(笑)


以上、3月終わりから4月初めの中国旅行記でした。
たぶん次の旅行では、こんな長い文章は書かないでしょうね。(笑)

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